明かり

どれくらい時間が経ったのかわかりませんが、
挟まれた足の痺れが痛みに変わり、次第に自分のものでないような感覚に
なりはじめた頃、外の様子が騒がしくなり、
なんとなく私たちを呼んでいるような・・?
こちらからのも声を出したりしてだんだん、声が近づいて来て
「ちょっとのいときよ」の声の後、頭の上の天上が破られ、
初めて明かりが見えたのでした。
時刻は、すでに10時になろうとしていました。
 破られた穴は、次第に大きく開けられ家内を引き出してもらい
私は挟まれた足を無理やりに近いくらい自力でひっぱり出し
なんとか瓦礫の下から抜け出す事が出来ました。
表に出て振り返ると、そこには、原型をとどめず、踏み潰されたような、
もと家であったらしい瓦礫が庭まで飲み込んで横たわっていました。
 近所の方が皆で掘り探して下さったのです(感謝、感謝)が、
子供は、おびえ手を差し伸べた方にいやいやをして助けてもらうことも
出来なかったのです。
私のほうへ助けてくれた方が近寄ってきて「お父さんでないとダメですわ」
といって子供のほうへ促してくださいました。
長男は、私が手を伸ばすとこれまで見たことのないような笑顔で微笑み、
一生懸命小さな腕を、手のひらをいっぱいに広げ、私を求め、
抱き上げた時のぬくもりは、今でも思い出す事が出来ます。
 大きな地震にこの小さな体が一生懸命立ち向かって
今やっと笑顔で安堵することが出来たんだと思います。
 お母さんは、先に助けてもらい私達が助け出されるのを
じっと見守ってくれていました。
家内の近所の友達が近寄ってきて
「死んじゃったと思って、泣いちゃったよ!」と言いながら、
泣き出して家内と抱き合ってました。丁度その時、実家の兄が来てくれ、
家内と子供、お母さんを取合えず連れて帰ってもらい、
もう1度夕方6時から7時に避難所で会う約束をして、別れました。
別れ際、二万円「使う事もできひんやろけど」と言って、
着ていたブルゾンといっしょに私に手渡し、帰っていきました。
 その日は、悔しいくらいに良く晴れ、昼間は、春のような暖かさでした。
すぐに、助けていただいた方と一緒に御近所の方の救助に参加しました。
 お向かいの家の御夫婦が一階に寝てたとの事で2階の屋根を捲るすぐ床、
2階の床の下は、・・・そこは、もうすぐに、隙まもなく1階の床でした。
この瞬間次の救助にうつりました。
 気がつけば、もうお昼近くになっていました、思えばまだ1度も
トイレにもいってない自分に気が付きました。
小学校のトイレを借りて用をたし、考えれば水すら飲んでなかったのです。
本当に不思議なもので、このような状況の中では、食欲や排泄の欲求まで、
体が押さえ込み、動くことだけに集中する事が出来るのですね、
 この頃になると、上空に沢山のヘリコプターが飛んでおり、
私達が救助しようとして閉じ込められている人の声を頼りに
瓦礫を取り除くのですが、ヘリの音でそのわずかな声が
かき消されてしまうのです。 なんの為のへりなんですか?続く


© Rakuten Group, Inc.